稀代の相場師 是川銀蔵
タイトルの通り、戦後の投資家、是川銀蔵をテーマにした一冊。その思想や人生を描き切るには紙幅が足りていない。
タイトルでは相場師となっているが、本人は自分を投資家と言い、相場師とは言っていない。いわば「稀代の相場師」とはあおり文句だが、実際に派手な取引というよりは動かす玉は大きいかもしれないが堅実な取引をしたという印象。
ノートにメモしたのは以下の箇所。
銀三なりに考えた五つの信条がある。
第一に”志をたてる”ことであり、第二には”勤勉に励む”、第三に”忍耐する”、そして第四は”勇気を持ち”、最後に”正道を歩む”だ。
志を立てぬかぎり、天下のことは何一つできぬ。
産業にどのような変革があっても、本質的な経済の流れは不変である。多くの知識を得ることより、少なくてよいから、確実で良質のニュースを入手することが、先決になるのだ
成功者(と言われる者音)は大抵、金銭面での苦労、人間関係の苦労、健康面での苦労をしているが、是川銀三は若い頃は金銭面での苦労が多かった様子。18歳で雇い先が倒産し失業。その後、本当はロンドンへ行くつもりが旧満州国へ。
そのようなこともあってか、一財産築いてからも派手な生活はしていないし、人の役に立つこと(交通遺児を高校へ入学させる奨学金の拠出)もやっている。
最後に心にとどめておきたいことを記す。
世の中の教育ママと称される人たちは、学歴が人格のすべてを形成すると誤解し、子どもを自分の愛玩物にしてしまう。こんな馬鹿げたことがあるか、と銀三は嘆く。
株式相場も一緒だ。人格より先に、学歴があるのではない。出来高より先に株価はないのだ。
人格が学歴を有意義なものに育てるように、出来高すなわち執行の人気が、株価を育て上げると銀三の相場哲学は、結論するのである。
『稀代の本屋 蔦屋重三郎』『蔦重の教え』
タイトルの2冊は併せて読むと理解が深まります。
田沼意次から松平定信の時代に活躍した本屋の話。
レンタルビデオなどのTUTAYAと直接の関係はありません。
まさに本の概念を変えた男。
現代風に言えば、プロデューサーであり、編集者であり、出版者であり、マーケッターでありプロモーターであり販売員。自分で本を書く以外、上流から下流まですべてやっている。
そしてただやるだけではなく、時代の流れを読み、世間の半歩を先を行き、ブームにのりブームを作る。こんなすごい男がいたのかというのが感想。
喜多川歌麿の他、葛飾北斎や東洲斎写楽、曲亭馬琴や十返舎一九にも関わりあり。この男がいなかったらヨーロッパの浮世絵ブームもなかったはず。
それ以外にも、江戸時代から続く職人技にはうならされる。1ミリの間に髪の毛を3本彫るってどんな技術だよ・・・。
いろいろと勉強になる2冊です。
1万人との対話でわかった人生が変わる100の口ぐせ
他作で知られる(?)千田琢哉氏による一冊。似たような本がいくつもあるということは、このジャンルはやはり需要があるということか。
そういえば、俺の本棚にも『きけ わだつみのこえ』や『20世紀名言集(スポーツマン編
)』などがある。
せっかく短いフレーズにまとめてくれているので、いくつか以下に記しておく。
「疲れるなんて自分もまだまだだなぁ」
~疲れを軽減するための環境づくりなら、どれだけ投資しても安いものだ。
「いざとなったら逃げる権利がある」
この考えがあるから、5人でやったてた仕事を3人でやってても俺はメンタルをやられないんだな。
「有り難いいなぁ」
~忙しくて疲れるほどに自分が必要とされているのは、非常に珍しい状態なのだ。
無職になったらずっと休みだし、会社が倒産してもずっと休みだ。休むのは仕事がなくなってからでよい。
○「たっぷり休めました」
×「昨夜あまり眠れなかった」
~
たとえ寝不足でも「たっぷり休めました」と元気に振る舞っておくことだ。
○「生涯収入」
×「時給」「月給」
~お金持ちになりたければ、生涯収入という発想に切り替えることだ。
○「へぇ~」「なるほど」「そうだったんだ!」
×「だって」「でも」「どうせ」
~一方、人に嫌われる人は相手の話を聞きながら「だって」「でも」「どうせ」と言いながらなかなか共感しようとしない。
○「やる気をくれてありがとう」
×「仕返ししてやる」
~1日前ここだけの話、あたなに理不尽なことをした連中は時と場所と人を変えて必ずどこかで復讐されるから相手にする価値はない。
リングの言霊 ~逆境に勝ったチャンピオンたちの40の名言~
プロボクサーやキックボクサーの言葉を集めた一冊。Numberのアンソロジーなどではなく、一人のライターの取材をもとにしたものなので、登場するボクサーには偏りがある(辰吉丈一郎が多い)。
ボクシングは階級制なので、厳しい減量が伴うイメージを持っているが、やはりストイックな競技であることがわかった。
晩年のモハメド・アリを見るまでもなく、自らの肉体に大きなリスクを負うこともあるし、試合に向けての調整、練習、減量は確実に命を縮める。
そんなボクサー同士が命をかけて臨むタイトル戦はもっとマスコミにとりあげられても良いんじゃないか?
そんなボクサーたちの言葉にハッとさせられるものがいくつかあったけど、ここでは三つ記しておきたい。
「日本チャンピオンを目標に練習してる奴は、普段から日本チャンピオンになるレベルの練習しかできない。でも、普段から世界チャンピオンを目指す練習をしてれば、試合のときに一発でも多くいいパンチが打てるかもしれない。試合には練習したことしか出ないって言うけど、それは当たり前のことで、言い換えれば、試合には普段の練習、普段の気持ち、普段の心構えで臨まなければならないんだよ」(高橋ナオト)
俺は一体どこを目標として日々の仕事や生活に取り組んでいる?
(ウィラポンに立ったままKOされた試合の後で)
なぜ、あそこまで立っていられたのか。誰もが抱いた疑問に話が及ぶと、辰吉はこう答えた。
「それは僕にもわからない。寝たらラクやのにね。でも、残り1%の希望があれば立っていられる。まだもっと闘いたい。チャンスがあるんじゃないか、と」
この試合の動画を見ると、途中でウィラポンが「まだレフリーは試合を止めないのか?」とでも言いたげな様子でチラッとレフリーを見る場面がある。それほど一方的な状況になったのに、最後まで立っていた辰吉という男は半端ねぇ。
極限状態において精神は肉体を凌駕する典型的な例として、この試合(高橋ナオトVSマーク堀越)は語られている。しかし、高橋は「意識がないんだから自分の意志ではなく、練習で体に覚えさせたオート機能だけで闘っていた」と言い、それを否定する。強靱な意志にも勝る、強靱な肉体。日々の練習でそれを培うのがボクサーなのだ、と。
一体、どれだけの練習をすれば体にオート機能が備わるのか・・・
5%の成功者の「頭の中」
「N0.1理論」などの著作がある、西田文郎による一冊。(絶版かな?)
「5%の成功者」たちに共通する心とは?
- 実現が難しそうな「大きな夢」を描く
- 物事に素直に感動し、感激できる
- 自分の役割にがむしゃらに取り組める
- 努力を努力と思わない
- 悪い結果は、自分の責任と思う
おそらく、この5つだけ身につければOKだが、これって日本人の5%じゃなくて0.5%じゃなかろうか?
メンタルトレーニングや大脳生理学、心理学を研究しているだけあって、脳の機能として「IRA(本能反射領域)」という言葉を使い、人間の脳は3層の構成になっていると説明する。
その3層は、1層目が「脳幹・脊髄」で、生命活動を維持する役割。2層目は「大脳辺縁系」で、動物的な本能や感情、潜在的な記憶に関する役割を担う。3層目は「大脳新皮質」でここが人間らしい、高度な精神活動を生み出している。
1層目と2層目を合わせて「IRA」としている
このような構造となっており、基本的に上の層は下の層に逆らえないので、夢や願望を実現するためには、「IRA」を理解し、それを上手に使う必要があると説いている。
そして、いくつかの方法も紹介されている。
例えば、
- 勝負所では「大切な家族(身近な人)」を思い出す
- 周囲の人に感謝する(ありがとうの内言でOK)
- 師匠を見つける
など。
せっかく本書を読んだので、今までの自分の枠を壊し、再構築しよう。
10年後世界が壊れても、君が生き残るために今、身につけるべきこと
2015年7月に発行された一冊。
4年間にここまで書かれていたのかと思える内容。
師匠(メンター)たる「紳士」と弟子たる「僕」の二人の会話で進むストーリー形式で書かれているので、抽象化する必要があるが、丁寧に各章の最後に「心のメモ」としてその章の内容をまとめてくれている。
いくつも付箋をはったが、特に記憶(心のメモ)に残しておきたいのは以下の箇所。
お金は非常に大事だ。でも、それ以上に大事なのは、時間だ。この世界に生きるすべての人間に共通に与えられているもの、それが時間だ。お金の価値なんて、国の政策ひとつで左右される。しかし時間はフェアだ。1日は24時間しか与えられていない。どんなにがんばっても人の2倍生きることは難しい。(p34)
健康こそは最大の投資先さ。栄養と健康に関する知識だけは勉強したまえ。結果はだいぶ先になるが、その効果は明白だ。(p36)
「最後に君は悟るだろう。他人とは自分の一部を映し出したフィードバックをくれる鏡の存在だということをね」
「鏡・・・」
「そして、時間も空間も存在しないということ。他人など存在しないこと。そして最後に自分さえも存在しないことを」(p124)
「助けて!」と言える相手を持つことかな。損得抜きで付き合える人達を周りに作ること。時間と余裕がある時は、功徳を積みなさい。信頼残高が増えるから。特に、友達が最も困っている時こそ、全力で助けなさい。(p140)
「~結局、必要なのは知識や情報ではない。そんなものは、すべて検索をすれば出てくるし、自分より詳しい人がいれば、その人に聞けばいいわけだ」
「だとすると、今、僕たちが身につけるべきことは何でしょうか?」
「それは、考えるということだ。本質的なことを見つけるために」(p162)
21世紀の人間の仕事は、アートとデザインしかない。なぜなら言語化されたあらゆる事柄が機械によって最適化されるからだ。(p215)
この本で言う、10年後は2025年だとすると、あと5年半で到達する。
政府から言われたからでなく、働き方や稼ぎ方、生き方を見直してみようと思えた。
右脳の空手
著者は東京大学で船舶工学を教えていた元教授(東大名誉教授)。退官後にスポーツ空手(格闘技空手)を始め、そこから武術空手へとシフトしていった。
本書は武術空手を取り上げた一冊。
タイトルの右脳とは直感・感性を表し、それに対して左脳とは理屈・論理を表している。
●右脳の空手とは?
「右脳の空手」は合気道に近いと感じた。植芝盛平師や塩田剛三師に通じるところがある。
著者は武術空手に筋力はいらないと言う。では何を使うのかと言えば心を使うと言う。
そしてスポーツ空手は相手にダメージを与え、武術空手は愛を与えると言ったうえで、武術空手から得られる歓びは深いところからくる全人的な充足感であるとする。
●武術における術の成功の条件
「観て」「入る」ことが要。
相手の鋭い攻撃に対して、それを制する「攻守一如」ができるためには次の二つが必要である。
一、「観の目」を有し、相手の攻撃の起こりを察知できる。
二、相手に「入る」ことができる。
p198
そしてこれができるようになるためには【正しく型をやりこむことである。】と結論づけている。
身体的な側面を考えよう。
心の動きが武術の本質ではある。しかし、心の動きで術が自在に決まるようになるためには身体的な条件が必要となる。心は身体と深く関係している。身体が心の状態を決めている割合は想像以上に高い。普通は誰でも相手の攻撃に対して恐怖感を覚えて、無意識に攻撃を避ける動きが出てしまう。このように心が弱気にならない身体の状態がある。
それは「自然体」になることである。
p200
では、自然体とはどのような状態かと言うと、次のように書かれている。
一、心がリラックスしている。
二、身体がリラックスしている。
三、気が通っている。
四、中心がある。
五、統一体である。
六、重い身体である。
これらは独立ではなく、同一現象に対して視点を変えて見ているだけである。
p201
合気道の藤平光一師は心身統一をすることが合気道を学ぶために必要であると説いているが、ロシアのシステマも同様の主張、原則をとっている。
ここまでくると、禅の世界に片足を突っ込んでいるような気がする。幕末の剣士、山岡鉄舟も禅を学んでいた。
著者は保江邦夫氏は実験から『武術は力学的原理ではなく、脳生理学的な人間の特性を使っていることがわかる』としている。
私は空手をはじめとする「○○道」の経験はないので、なかなか理解できないが、きっと武術を極めると禅と渾然一体となるのであろうと想像する。