部署の異動と新型コロナの影響で2年ほど東京へは行っていない。
いつか行こうとはおもっているのになかなか行けないお店、そのうち一つがラーメン二郎。前に慶応大学へ行った際は三田本店に行こうとも思ったけど、すでに並んでいる人がいて断念(その時は慶応大学の学食の山食堂でカツカレーを食した)。
そんなラーメン二郎を題材に取り上げて真面目に経営学の観点から分析した一冊。
未だにインスパイア系のブッチャーラーメン(沼津店、静岡店、焼津店)しか行ったことのない私としては、良い予習になるとともに、野菜(もやし)が円錐形に盛られたラーメンを見たことがあるというのは、ホンモノの二郎をイメージする助けになった。
さて、本書の著者は経営学を大学・大学院で教授している牧田幸裕氏。参考文献も豊富に(やや『ラーメン発見伝』率が高い)掲載し、真面目にラーメン二郎のビジネスモデルを分析している。
学園経営のヒントになる点もいくつかあり、非常にためになる内容だった。
以下にいくつか気になった点を記す。
p59『「二郎はラーメンではない。二郎は二郎という食べ物である」といわれるが、その意味するところは何なのか?本当はラーメンではないのか?』
p60『二郎と武蔵、一風堂では、どれが1番のラーメンなのか? 答えは、「決められない」だ。』
p69『一等賞で勝負が終わり、丼をカウンターに上げると、店主がちらっと視線をよこし「なかなかやるな、次回は麺ましでいくか?」と目で語りかけてくる。』
p92『なぜ僕は二郎の豚に対峙するとこんな声が聞こえてくるのだろう。僕の頭はおかしいのだろうか。そうではない。
僕たちジロリアンは豚に美味しさという「機能的価値」のみならず「情緒的価値」を感じているから、豚からこのような声が聞こえてくるのである。』
p171『でも、二郎を食べるということは、単なる食事に留まらない。自分自身の可能性、強さを再確認する修行の場だ。』
p197『健康ブームであったとしても、二郎はジロリアンからは支持される。二郎はジロリアンに「達成する歓び」を提供する希少な存在として、これからも「余人をもって、もとい余ラーメンをもって代えがたい」食べ物であり続けるだろう。』
しかし、この本を読んでもラーメンを食べたくならないあたり、胃腸の衰えを感じる。