著者は東京大学で船舶工学を教えていた元教授(東大名誉教授)。退官後にスポーツ空手(格闘技空手)を始め、そこから武術空手へとシフトしていった。
本書は武術空手を取り上げた一冊。
タイトルの右脳とは直感・感性を表し、それに対して左脳とは理屈・論理を表している。
●右脳の空手とは?
「右脳の空手」は合気道に近いと感じた。植芝盛平師や塩田剛三師に通じるところがある。
著者は武術空手に筋力はいらないと言う。では何を使うのかと言えば心を使うと言う。
そしてスポーツ空手は相手にダメージを与え、武術空手は愛を与えると言ったうえで、武術空手から得られる歓びは深いところからくる全人的な充足感であるとする。
●武術における術の成功の条件
「観て」「入る」ことが要。
相手の鋭い攻撃に対して、それを制する「攻守一如」ができるためには次の二つが必要である。
一、「観の目」を有し、相手の攻撃の起こりを察知できる。
二、相手に「入る」ことができる。
p198
そしてこれができるようになるためには【正しく型をやりこむことである。】と結論づけている。
身体的な側面を考えよう。
心の動きが武術の本質ではある。しかし、心の動きで術が自在に決まるようになるためには身体的な条件が必要となる。心は身体と深く関係している。身体が心の状態を決めている割合は想像以上に高い。普通は誰でも相手の攻撃に対して恐怖感を覚えて、無意識に攻撃を避ける動きが出てしまう。このように心が弱気にならない身体の状態がある。
それは「自然体」になることである。
p200
では、自然体とはどのような状態かと言うと、次のように書かれている。
一、心がリラックスしている。
二、身体がリラックスしている。
三、気が通っている。
四、中心がある。
五、統一体である。
六、重い身体である。
これらは独立ではなく、同一現象に対して視点を変えて見ているだけである。
p201
合気道の藤平光一師は心身統一をすることが合気道を学ぶために必要であると説いているが、ロシアのシステマも同様の主張、原則をとっている。
ここまでくると、禅の世界に片足を突っ込んでいるような気がする。幕末の剣士、山岡鉄舟も禅を学んでいた。
著者は保江邦夫氏は実験から『武術は力学的原理ではなく、脳生理学的な人間の特性を使っていることがわかる』としている。
私は空手をはじめとする「○○道」の経験はないので、なかなか理解できないが、きっと武術を極めると禅と渾然一体となるのであろうと想像する。