読書日記(書評や読書メモなど)

読んだ本の記録です。書評やそれに類する読書メモなど。主なジャンルは、「教養」「ビジネス」「教育」です。仕事柄、財務や会計、教育関連の本が多くなるかもしれません。

森林の思考・砂漠の思考

風土や気候から世界各地、日本各地の思考方法の違いを考察した一冊。

私とは何か、という問いは世界とは何かという問いになる。その世界というものは、私に認識しつくされるものではないから、私が世界をどうみるかという世界観の問題になる。人間の発生以来、たくさんの世界観が作られてきたことはいうまでもない。しかし、その世界観を、できるだけ粗く分類してみると、世界が永遠に続くと考えるか、世界には、はじめと終わりがあると考えるかの二種類の世界観に分類できるということは、たとえ世界観の研究をした人でなくとも、人間の論理から、ただちに理解されるであろう。

(はしがき)

著者は「始めと終わりがある」世界観が生まれたのが砂漠(主に西洋)、「永遠に続く」世界観が生まれたのが森林(主に低緯度の東洋)としている。

天地創造があり、終末・最後の審判があると考える一神教と、輪廻転生すると考える仏教や多神教に代表される。

 

砂漠では、生物が死ぬと骨が残るだけだが、森林では死骸が他の生物の養分となりそこから新たな生命が芽吹く。

砂漠では水や食料を求めて移住を続けることになるが、森林では比較的容易に食料が手に入るし、農耕にも向いている土地が多いので定住型になる。

移住をする中で、その土地にもともといたものと共生することになるので、今日の契約社会のもとになる、ルールの明文化が生まれたと著者は考えている。

これを見ていれば確かにこのような思考になっていくのだろう。

 

そして、日本国内も砂漠的思考、森林的思考と分けて考えることができる

私の狭い経験ではあるが、京都系の研究者は、開放的ではっきりと物事をいい、大きな仮説を立てて学問を進める人が多い。東京系はどちらかというと、分析、専門に徹する人が多いように思われる。そして、東京系でも、開放的で、仮説をこばまない人には、関西出身の方が多いような気がする。もちろん個々をみれば、まったく正反対の例もあるが。

つまり、この書物の表現によれば、東京の学問は、森林的であり、京都の学問は、相対的にではあるが砂漠的色彩がある。少し短絡が過ぎるかも知れないが、それは瀬戸内には、朝鮮半島をへて渡来した大陸的な要素が濃厚であることと、かかわっているのではないだろうか。

このスコープは大小変更が可能で、地球規模だけではなく、日本国内に当てはめることもできる。

おそらくもっと小さくすれば、社内にも当てはめられるだろう。

 

異文化理解を助ける一冊だと感じた。

 

 

 

※絶版ですが、古本が流通しているようです。