読書日記(書評や読書メモなど)

読んだ本の記録です。書評やそれに類する読書メモなど。主なジャンルは、「教養」「ビジネス」「教育」です。仕事柄、財務や会計、教育関連の本が多くなるかもしれません。

最新 戦略PR 入門編

2009年にアスキー新書から刊行された『戦略PR 空気をつくる。世論で売る。」を改訂したもの。

うかつにも見落としていたが、2008年のリーマンショックに始まる企業の広告費削減の折に注目された「戦略PR」を開設したもの。本書の姉妹編に「実践編」がある。したがって本書では概念の説明が中心となっている。

本書のもとになった新書のタイトルに『空気をつくる』と入っているように、「空気」でモノを売るのが「戦略PR」。この場合の空気とは、もちろん『空気を読め』という使い方をするときの空気。

なぜそんなことが求められるようになったのかというと、二つのハードルがあるからだと著者はいう。

僕は、今、盛んにいわれる「消費者に伝わりにくくなっている」ことの本質的な原因は、ふたつに集約して考えるべきだと思っている。あなたから消費者への情報伝達をジャマする、「ふたつのハードル」だ。ひとつは「量のハードル」、そしてもうひとつが「質のハードル」だ。

(p27)

インターネット・ブロードバンドの普及により、爆発的に情報が増えてしまい、各人が受け取る情報量が多すぎると言うのが「量のハードル」。そして、日本の消費者は世界的にもモノを見る目のレベルが上がったというのが「質のハードル」。この二つのハードルを越えないとモノは売れない。(平成17年の総務省の調査「情報流通センサス報告書」によると、10年前に比べて流通する情報量は410倍になった!)

確かに、アラフォーの我々が高校生や大学生の頃と比べると、商品に関する情報は増えたし、簡単に検索できるようになった。昔は限定もののGショックの入荷日なんて、雑誌や口コミで得るしかなかった。

 

本書で紹介されている、「空気」をつくった例として、ハイボールの人気復活が挙げられている。これはサントリーの広告展開(小雪が出演していた「ウィスキーがお好きでしょ?」というCM)と、飲み屋へのサーバー設置の営業、啓蒙などをうまく組み合わせて展開したもので、狙ってマス媒体への露出を増やした結果によると振り返っている。

この「空気」を「カジュアル世論」と著者は読んでいるが、そのカジュアル世論を作るのは3つの要素だと言う。

僕が考える「カジュアル世論の形成に必要な3つの要素」を解説しよう。次の3つだ。

1「おおやけ」

2「ばったり」

3「おすみつき」

(p77)

「おおやけ」とは「オトナになった日本人」をひきつける公共性の要素。

「ばったり」とは「情報洪水の中での貴重な出会い」を演出する偶然性の要素。

「おすみつき」とはホンモノ志向+自分だけのスタイルを満足させる信頼性の要素。

といっている。そして1~3を作り出す媒体はそれぞれ違う。

1「おおやけ」感を生み出すために 「マスコミ」の活用

2「ばったり」感を生み出すために 「クチコミ」の活用

3「おすみつき」感を生み出すために「インフルエンサー」の活用

(p128)

と考えている。

 

ここまでわかるかもしれないが、この「戦略PR」のための空気づくりには、ある程度の組織力ないし資金が必要になる。あるいはよほど独自性(話題性)の高い商品が必要だ。

つまりは強者の戦術ではないかと考える。その観点からは、すぐに私の仕事にいかすのは難しそうだ。

半面、所属の会社(プレーヤー)が強者である場合は有効な手段だろう。

 

 

 

「善玉」「悪玉」大逆転の幕末史

「善玉」「悪玉」大逆転の幕末史 (新井喜美夫 著)

 

タイトルの通り、多くの場合肯定的に書かれる明治維新の志士側を悪玉、幕府側を善玉ととらえた一冊。

井伊直弼を日本最大の政治家とし、小栗忠順(上野介)を日本最高の頭脳と称賛している。それに対して坂本竜馬を『今日風に言えば、格好のよい暴走族といった程度』としている。

 全面的に著者の考え、見解に同意するわけではないが、「そうだよね」と思う個所も結構あった。

もともと、中学校で習うレベルの歴史の知識はもっていたが、大人になってから、司馬遼太郎をはじめとする歴史ものを読むと、教科書には載っていなかった事件やエピソード、さらには教科書に載っていることの背景などを知るようになり、単純にどちらが良い悪いでは切り分けられないことを知った。

日本人の好きな歴史上の人物でアンケートをとると、坂本竜馬が上位にくるが、これは『竜馬がゆく』の影響である、と著者は見ている(この点は同意)。

 

私自身、『竜馬がゆく』を読んだ時も、坂本竜馬に対する好感度は上がらなかった。これは、『風雲児たち』や『竜馬がイク~ッ』を先に読んでいたためかもしれないし、私自身が保守的な傾向が強く、論理を重んじるタイプであるからかもしれない。(少数派であることを気にしないし、プラグマティストでありたいと思っているが)

一つの物事を見るのでも、片側からだけでは重大なことを見落としてしまうかもしれない。複数の視座から見るのが大事であると改めて思わされた。

本書を読み、小栗上野介河井継之助について改めて学びたいと思った。

 

ちなみに、私が幕末の人物の中で一番好きなのは天才的テロリスト高杉晋作

 

 

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森林の思考・砂漠の思考

風土や気候から世界各地、日本各地の思考方法の違いを考察した一冊。

私とは何か、という問いは世界とは何かという問いになる。その世界というものは、私に認識しつくされるものではないから、私が世界をどうみるかという世界観の問題になる。人間の発生以来、たくさんの世界観が作られてきたことはいうまでもない。しかし、その世界観を、できるだけ粗く分類してみると、世界が永遠に続くと考えるか、世界には、はじめと終わりがあると考えるかの二種類の世界観に分類できるということは、たとえ世界観の研究をした人でなくとも、人間の論理から、ただちに理解されるであろう。

(はしがき)

著者は「始めと終わりがある」世界観が生まれたのが砂漠(主に西洋)、「永遠に続く」世界観が生まれたのが森林(主に低緯度の東洋)としている。

天地創造があり、終末・最後の審判があると考える一神教と、輪廻転生すると考える仏教や多神教に代表される。

 

砂漠では、生物が死ぬと骨が残るだけだが、森林では死骸が他の生物の養分となりそこから新たな生命が芽吹く。

砂漠では水や食料を求めて移住を続けることになるが、森林では比較的容易に食料が手に入るし、農耕にも向いている土地が多いので定住型になる。

移住をする中で、その土地にもともといたものと共生することになるので、今日の契約社会のもとになる、ルールの明文化が生まれたと著者は考えている。

これを見ていれば確かにこのような思考になっていくのだろう。

 

そして、日本国内も砂漠的思考、森林的思考と分けて考えることができる

私の狭い経験ではあるが、京都系の研究者は、開放的ではっきりと物事をいい、大きな仮説を立てて学問を進める人が多い。東京系はどちらかというと、分析、専門に徹する人が多いように思われる。そして、東京系でも、開放的で、仮説をこばまない人には、関西出身の方が多いような気がする。もちろん個々をみれば、まったく正反対の例もあるが。

つまり、この書物の表現によれば、東京の学問は、森林的であり、京都の学問は、相対的にではあるが砂漠的色彩がある。少し短絡が過ぎるかも知れないが、それは瀬戸内には、朝鮮半島をへて渡来した大陸的な要素が濃厚であることと、かかわっているのではないだろうか。

このスコープは大小変更が可能で、地球規模だけではなく、日本国内に当てはめることもできる。

おそらくもっと小さくすれば、社内にも当てはめられるだろう。

 

異文化理解を助ける一冊だと感じた。

 

 

 

※絶版ですが、古本が流通しているようです。

読書を仕事につなげる技術

著者は大学の学部と院で美学を学んだ後、電通に就職。その後外資系コンサルに転身。コンサルとして働くにあたり、経営関連の業務上必要となる知識は独学で身に付けた。

タイトルの通り、「読書で学んだことをいかに仕事に生かすか」という視点で書かれている。

 

ある程度の量の読書をしているという人の集団の中にも、知的生産性にはあ大きな差が生まれます。どうしてでしょうか?

結論から言えば、読書で得た知識や感性を仕事に生かそうとした場合、大事なのは「読んだ後」なのです。

(中略)

知的生産に従事するビジネスパーソンも、さまざまな本から得た知識を貯蔵し、文脈に応じてそれらを組み合わせることで知的成果を生み出すことが求められます。

(p8)

大量の読書も娯楽のために読むのなら読みっぱなしでも良いが、仕事に生かすためにはインプットした知識を適切にアウトプットできななければ意味がないという。

 

そして、『成果を出すには「2種類の読書」が必要』といいます。

その2種類とは

ビジネス書の名著をしっかり読む、いわばビジネスパーソンとしての基礎体力をつくるための読書と、リベラルアーツ=教養に関する本を読む、いわばビジネスパーソンとしての個性を形成するための読書の2種類です。

(p20)

本書の中では読むべきビジネス書も紹介されています。

 

また、(仕事に生かす)読書は投資であると言っています。

読書という行為は、自分の時間といくばくかのお金を投資することで人生における豊かさを回収するという投資行為です。

(p31)

我々に与えられた貴重な時間を浪費すべきではないと訴えています。つまり読書は消費行為ではなく投資校ということです。

 

そしてビジネス書と教養書の読み方、仕事への活かし方を紹介していますが、ここでは教養書の読み方をとりあげます。

リベラルアーツの読書を仕事の成果につなげるために、やらなければならなこと。それは「抽象化」です。リベラルアーツの読書で得られる「知識」はビジネス書で得られる知識とは違い、そのままビジネスの世界に活用することはできません。

(中略)

抽象化とは、細かい要素を捨ててしまってミソを抜き出すこと、「要するに〇〇だ」とまとめてしますこと。

(p135)

抽象化をしないでただ読むだけでは単なる「物知り」になるだけだと喝破します。

(・・・耳が痛い)

 

 

およそ3年前に本書を買って(レシートが挟まっていた)、今回再読しましたが、今あらためて読むと本書で紹介されていたことがきっかけで我が家の本屋に加わった本がいくつかあることに気付きました。

読書をどう仕事に生かせばよいか迷っている方にお勧めです。

 

このブログの目的

主には読んだ本の記録。簡単な内容のメモと短い感想が中心になる予定。

後から検索するときにブログの形態のほうが便利だと思ったため。

主なジャンルは

・哲学

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といったところ。